くぼやまさとるの山奥ギャラリー【まじっくらんど】

まじっくらんど日記

絵を描き始めた頃

絵を描き始めた頃 

突如、伊豆河津町のホテルから個展の依頼を受け、喜んで引き受けたのだが、
なぜ筆者が作品を作り始めたことを知っているのだろうか?と不思議に思った。
個展の搬入日に作品を持っていくと、支配人は「え〜〜、竹のアクセサリーの展示会のつもりだった。」とおっしゃる。でも、持って来てしまったのだから仕方ないと、無理矢理ロビーの真ん中のスペースに作品を並べることになった。壁にかけるのではなく、茶の湯をやるようなスペースの畳の上に作品を並べた。
初めての個展で、かなりドキドキしていたように記憶している。不安と期待が入り混じるあの感覚は、その時は逃げたい気分だけれど、過ぎてみるとなかなか良いものだ。でも、25年も作品展をやり続けていると、この時ほどのドキドキはなかなか味わえなくなっている。ハードルをあげていかないと、展示会も単なるルーティンワークとなってしまう。いまの自分にとってのレベルはどのくらいなのだろうか?ドキドキを感じる展示会をやりたいものだ。(毎回それだと大変だけど)

搬入が終わり数日たって、ホテルの支配人から「一番高い作品が売れました!」と電話が入った。
かなりびっくりしている様子。そして筆者もかなりびっくりした。え〜〜!!まさか!!まじすか?!ある奥様が作品をすごく気に入って何点か購入し、作品を見ながらすごいすごいと言っていたら、周りにいた他のお客さんもつられて作品を買ってくれたのだとか。

最終的にかなりの作品が売れた。特に、絵描きを目指して生きていたわけでもなかったので、すごく不思議な気分だった。狐につままれたような。クラクラするような。それは人生の新しい扉が開いて、それが毎日開き続けていくような。

そしてそれ以来、ずっと絵を描き続けている。当時を思い返すと、かなり稚拙だっとように思う。でも描きたいという気持ちだけで描いていた。実は今も、そんなに上手くない。到達点は高くなるばかりだ。

というわけで、もっともっと色々なものを吸収して、もっともっと描いていかねばなりますまい。

 

さとる | 2017年12月14日

絵を描き始めた頃のこと

たまたま入った吉祥寺のギャラリー(不確かな記憶だが,名前は多分ギャラリーポエムだったと思う。)で、目に飛び込んできた作品に思わず心を奪われた。ネパール紙に濃いブルーと赤茶の顔料が表面の凸凹が浮かび上がるように施され、そこに小さな紙片が規則的に糸で固定されている作品だった。林孝彦氏によるミクストメディア(混合技法:色々な技法を併用して描くこと)だった。購入するお金はなかったので、何度か通って目に焼き付けた。

こんな作品、自分でも作りたい!と思い、この混合技法とやらをすぐさま自分の作品に応用することにした。たまたま、南伊豆は近年稀にみる大雨に見舞われ、その結果 浜には全体が白くなるくらい大量の流木が打ち上げられていた。その流木を作品に利用しない手はない。そして、その大雨で我が家も半分埋まってしまい、土砂を掻き出し畳を剥がしたら、寝室としては使えないが、アトリエとしては使える部屋が生まれるというハプニングもあった。

まるで全ての出来事が創作に向かって動き出しているかのようだった。土砂で使えなくなった雨戸に流木や番線をくっつけた作品や、浜に打ち上げられた木の根っこを、家に流れ込んできた石を細かく砕いたものの上に標本のように並べた作品、流木を組み合わせて色を塗った作品などを次々に作り上げていった。

どこへ発表するというあてもなく作っていたのだけれど、ある日、竹のアクセサリーを扱ってもらっている河津のホテルから一本の電話があった。「個展をやりませんか?」というものだった。(続く)

さとる | 2017年12月5日

絵を描き始めた頃

ちょうど絵を描き始めた頃(1990年代の始めの頃のこと)、たまたまギャラリーや美術館巡りにはまり始めた。絵の勉強というつもりは全くなく、ただ作品を見て歩くのが楽しくてしょうがなかったのだ。 それは、知らず知らずに大量のインプットをしていたことになる。

ほんの一部だけれど、印象に残った展覧会をあげてみよう。
国立近代美術館でやっていたアボリジニーの展覧会はほぼ美術館を独り占め状態だった。つまりほとんど人が見にきていなかったということ。独りでゆっくり見れるのは良かったけれど、もう少し人が来ても良いのにと残念に思ったものだ。フェルメールや若冲だけでなく、アボリジニのアートだっていいんだよと言いたい。

茨城県の田んぼに巨大アンブレラが千本以上も転々と立ち並ぶクリストの野外インスタレーションはなかなかエキサイティングな体験だった。アートは実物を見てみるものだと実感。写真ではほとんどその面白さがわからないのだ。まさに行ってびっくり見てびっくり。丘の坂を下りると突然目の前に巨大アンブレラが現れたり、上から俯瞰して見たり、車で走りながら次々に傘を通り過ぎたり。傘の存在によってものの見方が変わるのだ。

bunkamuraでのセネガル人の彫刻家ウスマンゲイの個展も強く印象に残っている。つるんとした質感、アフリカ的なものとヨーロッパ的なものが同居していて、自分の家に飾りたくなるような親しみが感じられた。

高校の同期だったからという理由で、ずっと気になっていた大竹伸朗の展覧会も見に行った。「なにこれ?!」というのが一番率直な感想。ロックというかパンクというか、かっこいい。そういえば、高校時代からかっこいいやつだった。

その頃
美術雑誌で特集されていたクレーは、その後好きな画家のひとりとなった。(実は恥ずかしながらその時までクレーのことは知らなかったのだ)。そういえば初期の絵はクレーみたいとよく言われたものだ。一時タイトルに凝ったりしていたのは、クレーの影響が大きい。

思えば贅沢な時間を過ごしていたものだ。今では、何が忙しいのかわからないのに忙しいという理由で、美術館やギャラリーへ行く時間がない。先日、京都で久々に博物館の国宝展を見に行って、やっぱりもっと見る機会を持つべきだなと痛感した。(国宝展、見たかった長谷川等伯や、円山応挙の作品を生で見ることができて最高でした。)

好きなアーティストは?と聞かれることも多いので、ついでにここであげておこう。アンディー・ゴールズワージー、ニックナイト、メビウス、ジミーパイク、酒井抱一など。好きな作家、すごいと思う作家は数多く、もしかしたら間接的に影響を受けているのかもしれない。
さて、そんなこんなでギャラリー巡りをしていたある日、吉祥寺にあった(今はもうない)ギャラリーに立ち寄った時のことだ。そこで、自分の作品に直接影響を与えることになる作家の作品に出会うことになる。
(引っ張りつつ つづく)

さとる | 2017年11月26日

本格的に絵を描き始めた頃

筆者のプロフィールは
アボリジニーの絵に出会ったことで絵を描き始めたと書くことがある。

おそらく、多くの人は岩などに描かれた太古のアボジジニーの絵を思い描くのではないだろうか?

でも、実際は、オーストラリアのブリスベンのナショナルギャラリーにて、最近のアボリジニーアーティストの絵(版画)を見てインスピレーションを得たのだ。アーティストはHeather WalkerかJenuarieのどちらかだったと思う。(ちなみにこの二人は姉妹)。絵を見たときに「絵を描きた〜い」という気持ちが湧き上がってきたのだけれど、それは同時にすごく懐かしい感覚だった。すごく昔にただシンプルに何かを作りたい、描きたいと感じていた感覚。心の奥深くで、眠っていた気持ちが、彼らの絵によって引き出されたようだった。それは、彼らのメッセージだったのかもしれないとも思う。

それから集中して絵を描き始めたのだけれど、その頃自分の創作に影響を与えたアーティストが他にも何人かいる。
(続く)

さとる | 2017年11月22日