まじっくらんど日記
2017年12月
薪集め
今年は冬が早い。
我が家は薪ストーブなので、
どうやって薪を確保するかが、毎年の課題だ。
前の年に、薪のために木を.切っておいたりもする。だいたい直径20〜30cmくらいの木が20本くらいあれば冬を越せる。

さて今年は、カシノナガキクイムシによって枯れてしまったマテバシイの大木が何本もあるので、薪には困らない。

マテバシイは結構硬いので、チェーンソーで切っていると、たちまち刃が切れなくなる。おまけに、太いので、割るのが大変だ。ヨキ(斧)ですっこんすっこん割れれば、薪割りは楽しいけれど、なかなか割れないと、自分の骨が割れてしまうような気になる。
とはいえ、薪がたくさん貯まると、豊かな気持ちになれるのだ。今年は、暖かい冬が過ごせそうだ。
カシノナガキクイムシの豆知識
全国で、ナラ枯れが問題になっているけれど、その原因となる小さな甲虫。ナガキクイムシ科で養菌性キクイムシと言われるグループに属する。集団で、木の幹に小さな穴をあけ、そこに自らが運んだ菌を繁殖させてそれを食べる。それによって、木が枯れてしまう。この辺りでは、マテバシイが被害にあっている。コナラも食害されているが、枯れるまでには至っていないようだ。なぜ、近年ナラ枯れが多いかというと、山の手入れをしなくなったのが原因だそうだ。カシノナガキクイムシは、太くなって樹液の少なくなった木を好むのだが、若い木には樹液が多いのでカシノナガキクイムシはそんなに繁殖できない。昔は、薪にするために木を若いうちに切って使っていたので、ナラ枯れに至る木はそんなになかったということらしい。里山を手入れしないことの弊害は思っている以上に大きいのかもしれない。
さとる | 2017年12月29日
侘助グループ展終了
侘助でのグループ展が終わった。
侘助は一階がカフェ、2階が展示スペースとなっている。那賀川という松崎町内を流れる川沿いにあって、
2階の窓から川面をポーッと眺めていると、カワセミが部屋の中に飛び込んできたり、川に浮かんでいるカモたちが一斉に水の中に頭を突っ込んで逆立ちしているのが見えたりした。バードウォッチングに最適なところでもあった。

来年の2月で侘助は閉店するので、これが最後の侘助での展示会となった。
今までで、侘助では何度展示会をやったのだろう?少なくとも5回以上はやっているはずだ。

見にきてくれる人は他に比べると圧倒的に少ない松崎だけれど、時間の流れのゆったりした所なので、その分じっくり見てもらえる。
なぜか、これで終わりで寂しいという気持ちでもない。これからも、なんらかの形で松崎、西伊豆と関わっていく予感があるからだろう。どちらかというと、楽しみである。
今年は、4年ぶりに侘助の前を流れる那賀川に川苔が生えた。最終日にYさんが川苔を採るのをボートを漕ぎながら手伝った。そして、肝心の川苔をもらってくるのを忘れた。それだけが、心残りだ。
さとる | 2017年12月26日
絵を描き始めた頃
突如、伊豆河津町のホテルから個展の依頼を受け、喜んで引き受けたのだが、
なぜ筆者が作品を作り始めたことを知っているのだろうか?と不思議に思った。
個展の搬入日に作品を持っていくと、支配人は「え〜〜、竹のアクセサリーの展示会のつもりだった。」とおっしゃる。でも、持って来てしまったのだから仕方ないと、無理矢理ロビーの真ん中のスペースに作品を並べることになった。壁にかけるのではなく、茶の湯をやるようなスペースの畳の上に作品を並べた。
初めての個展で、かなりドキドキしていたように記憶している。不安と期待が入り混じるあの感覚は、その時は逃げたい気分だけれど、過ぎてみるとなかなか良いものだ。でも、25年も作品展をやり続けていると、この時ほどのドキドキはなかなか味わえなくなっている。ハードルをあげていかないと、展示会も単なるルーティンワークとなってしまう。いまの自分にとってのレベルはどのくらいなのだろうか?ドキドキを感じる展示会をやりたいものだ。(毎回それだと大変だけど)
搬入が終わり数日たって、ホテルの支配人から「一番高い作品が売れました!」と電話が入った。
かなりびっくりしている様子。そして筆者もかなりびっくりした。え〜〜!!まさか!!まじすか?!ある奥様が作品をすごく気に入って何点か購入し、作品を見ながらすごいすごいと言っていたら、周りにいた他のお客さんもつられて作品を買ってくれたのだとか。
最終的にかなりの作品が売れた。特に、絵描きを目指して生きていたわけでもなかったので、すごく不思議な気分だった。狐につままれたような。クラクラするような。それは人生の新しい扉が開いて、それが毎日開き続けていくような。
そしてそれ以来、ずっと絵を描き続けている。当時を思い返すと、かなり稚拙だっとように思う。でも描きたいという気持ちだけで描いていた。実は今も、そんなに上手くない。到達点は高くなるばかりだ。
というわけで、もっともっと色々なものを吸収して、もっともっと描いていかねばなりますまい。
さとる | 2017年12月14日
絵を描き始めた頃のこと
たまたま入った吉祥寺のギャラリー(不確かな記憶だが,名前は多分ギャラリーポエムだったと思う。)で、目に飛び込んできた作品に思わず心を奪われた。ネパール紙に濃いブルーと赤茶の顔料が表面の凸凹が浮かび上がるように施され、そこに小さな紙片が規則的に糸で固定されている作品だった。林孝彦氏によるミクストメディア(混合技法:色々な技法を併用して描くこと)だった。購入するお金はなかったので、何度か通って目に焼き付けた。
こんな作品、自分でも作りたい!と思い、この混合技法とやらをすぐさま自分の作品に応用することにした。たまたま、南伊豆は近年稀にみる大雨に見舞われ、その結果 浜には全体が白くなるくらい大量の流木が打ち上げられていた。その流木を作品に利用しない手はない。そして、その大雨で我が家も半分埋まってしまい、土砂を掻き出し畳を剥がしたら、寝室としては使えないが、アトリエとしては使える部屋が生まれるというハプニングもあった。
まるで全ての出来事が創作に向かって動き出しているかのようだった。土砂で使えなくなった雨戸に流木や番線をくっつけた作品や、浜に打ち上げられた木の根っこを、家に流れ込んできた石を細かく砕いたものの上に標本のように並べた作品、流木を組み合わせて色を塗った作品などを次々に作り上げていった。
どこへ発表するというあてもなく作っていたのだけれど、ある日、竹のアクセサリーを扱ってもらっている河津のホテルから一本の電話があった。「個展をやりませんか?」というものだった。(続く)
さとる | 2017年12月5日